不便さと便利さ
2011年 07月 17日
体内時計が変わった。
大抵、毎朝5時半くらいに起きて、
目の前にある海の波音を聞きながら、
本を読んだり、歌ったり、考え事をしたりしてから、
野良仕事にいく。
今の所、野球部か?というほどに、炎天下の中、日々草狩りをしている。
全体的の時間の流れが、一日を作りだしてるようで、
都会で感じていた感覚の時間よりも、一日は長い。
淡路島と都会の時間の感覚が、ちがう。
同じ時間を過ごしているとは思えない。
40分歩くのが、都会で言う所の20分くらいの感覚で、普通の事。
バスは、一時間に一本くらい走っているが、
運賃が高いのとで、車のない私の移動手段は、ほとんど歩きか自転車。
そのおかげ?というか、歩く事で、地元の人たちと出会う事ができる。
挨拶したら、そのまま立ち話になり、地元情報をゲットしたり、
仲良くなって、お好み焼きをごちそうしてもらったり。
おとついは、漁師のおじちゃん達と、船の前で地べたに座りながら、
捕れたての魚をあげてくれた分を酒と一緒に食べる。
車社会は、私達の生活を便利してしてくれたけど、
歩く事で、発見したり出会いがあったりなどで起こっていた文化を、
少し失ってしまったかもしれない。
だけど、便利さの中で生まれ育った者として、
不便さの中で、車があればもっとあれもできるこれもできるとも思い浮かぶ。
不便さは、時間の豊かさを生んでる部分もあり、
便利さは、やりたい事の幅を広げてくれるような部分がある。
不便さと便利さについて考えさせられる。
漁師さん達が、一仕事を終えて、夕方船の前でみんなで一杯。
道いく人に、手をふったりして、路上宴会は広がっていく。
私達のために、とっておきの穴子をさばいてくれる。
プロジェクトに参加している友人と、海を目の前に、
手づかみでスイカを食べました。めっちゃ、原始的。
大抵、毎朝5時半くらいに起きて、
目の前にある海の波音を聞きながら、
本を読んだり、歌ったり、考え事をしたりしてから、
野良仕事にいく。
今の所、野球部か?というほどに、炎天下の中、日々草狩りをしている。
全体的の時間の流れが、一日を作りだしてるようで、
都会で感じていた感覚の時間よりも、一日は長い。
淡路島と都会の時間の感覚が、ちがう。
同じ時間を過ごしているとは思えない。
40分歩くのが、都会で言う所の20分くらいの感覚で、普通の事。
バスは、一時間に一本くらい走っているが、
運賃が高いのとで、車のない私の移動手段は、ほとんど歩きか自転車。
そのおかげ?というか、歩く事で、地元の人たちと出会う事ができる。
挨拶したら、そのまま立ち話になり、地元情報をゲットしたり、
仲良くなって、お好み焼きをごちそうしてもらったり。
おとついは、漁師のおじちゃん達と、船の前で地べたに座りながら、
捕れたての魚をあげてくれた分を酒と一緒に食べる。
車社会は、私達の生活を便利してしてくれたけど、
歩く事で、発見したり出会いがあったりなどで起こっていた文化を、
少し失ってしまったかもしれない。
だけど、便利さの中で生まれ育った者として、
不便さの中で、車があればもっとあれもできるこれもできるとも思い浮かぶ。
不便さは、時間の豊かさを生んでる部分もあり、
便利さは、やりたい事の幅を広げてくれるような部分がある。
不便さと便利さについて考えさせられる。
漁師さん達が、一仕事を終えて、夕方船の前でみんなで一杯。
道いく人に、手をふったりして、路上宴会は広がっていく。
私達のために、とっておきの穴子をさばいてくれる。
プロジェクトに参加している友人と、海を目の前に、
手づかみでスイカを食べました。めっちゃ、原始的。
by hana-neo
| 2011-07-17 08:36
| 淡路島漂流記